月
06
2月
2012
泉佐野丘陵緑地は新しい形の公園として、ゆっくりと、住民の方々と一緒に造っていく、という試みを進めている府営公園です。一昨日の土曜日にその報告を兼ねたシンポジュームがありました。(サンケイ新聞夕刊にもその記事がありました)
私もあの地が泉佐野コスモポリスと言われていたときから、その破たんを想定して、アジア植物生態園構想なるものをつくり、かつ破たんした後も府VIPに頼まれてその処理案を作成し、はたまた某府議会議員とやりあい、某国会議員とも話をしたいわく因縁つきの場所でありますので、そのいく末には大変興味があります。よって聴講に行ってまいりました。
その破たん処理をメインでやってくれていたM君が頑張ったからであろうと思いますが、今のところとてもうまくいっていると思いました。今のところはです。おそらくこのままひそかに、というかあまり知られることなく、こじんまりと関係者が少なければ、うまく続いていくでしょう。
しかしシンポジュームを開催し、新聞に載り、世の中に知れ渡り、関係者が増えてくると、そうはいかないでしょう。当日澤木さんが有馬富士公園の例を説明してくれていましたが、あのような新しい取り組みをどんどん進めていく必要があると思います。しかしながら、彼がやはり懸念を示していたように府の担当者が変わるという問題があります。もっとも私は変わらなくてもそのような変化に対応できる人がいるかどうかに疑問があります。現在すでに管理だけになっている府営公園の変化に対応できない人がはたして先の管理までを考えた新しい造り方をしていく公園に対応できるでしょうか?
ましてや忽那さんが言いにくそうに言っていた経営していくことなどできるでしょうか?現に副知事を含め誰も区域の一部に設定してある民間活用地の話をしませんでした。ここも一緒に考えなければ。おそらく今後は、公園の中だけにとどまっていたのではうまくいかないでしょう。そういえばこのようなことに長けている地元のF君は来ていなかった。彼も私と同じように傍観者になったのだろうか?
そうそう今朝のサンケイ新聞1面の産経抄には梅棹先生が国立民族博物館を創設した時、バーで思いついたという理念が載っていました。(石原東京都知事の「日本よ」の記事もよかったですが・・・)
「ふかい学識、ひろい教養、ゆたかな国際性、柔軟な実務感覚、ゆきとどいたサービス精神」です。その先生の発案である花と緑の情報センター(たしかBoSScoだった。綴りが違っているかも)をここにできないかと考えた処理案も失敗しました。いつか先生にお話ししたら、「君何を言っているんだ。民博は構想から50年かかったんだ。まだ花博が終わって20年たっとらんじゃあないか」とおっしゃられた。そうかまだまだだ、と思ったものの、これまたほったらかしであります。空港前の好適地なんだけどなあ。誰かに引き継いでもらいたいものです。(なんでも教えますよ)
というよりも、この場所はこのような見識を持って、今までにない発想でやっていかなければ、うまくいかないでしょう。なんか国政みたいになってきましたが、日本はどこも同じようなことになっているようにも思えます。そうか、それならここ話だけでも1冊の本するくらいのボリーュムがあるし、暇になったらやってみるかあ・・・。